「教育は国家百年の大計」 といいます。 今の日本を創ってきたのも教育ならば、これからの日本を創るのも教育です。
「平等・人権・平和」 の名のもとに日本人の背骨とも言うべき 「精神」 を骨抜きにした 「戦後教育」 にお引き取り願い、本来の教育の目的を取り戻し、来世紀の子孫を苦しめることがないよう、切に願います。
◆ 塗炭の苦しみにあえぐ日本 今の日本は、戦後の経済繁栄を築き上げたあと、その間に蓄積されてきた欠陥や、なおざりにしてきた課題が一挙に露呈し、相互に絡み合って、解決不能の局面にあえいでいるかのように思えます。
政官民の分け隔てない、倫理観の喪失をはじめ、特に最近目立ってきた、学生や若者たちの破滅的な言動を見るときに、日本人というよりも、人間的な規律と規範の乱れが、急速に、しかも激しく若者たちや社会を蝕み始め、各所にその症状が現われ始めように思えます。
◆ 塗炭の苦しみにあえぐ日本 今の日本は、戦後の経済繁栄を築き上げたあと、その間に蓄積されてきた欠陥や、なおざりにしてきた課題が一挙に露呈し、相互に絡み合って、解決不能の局面にあえいでいるかのように思えます。
政官民の分け隔てない、倫理観の喪失をはじめ、特に最近目立ってきた、学生や若者たちの破滅的な言動を見るときに、日本人というよりも、人間的な規律と規範の乱れが、急速に、しかも激しく若者たちや社会を蝕み始め、各所にその症状が現われ始めように思えます。
この原因はいったい何なのか、そして、この窮地から脱するにはどうすればよいのでしょうか。
◆ 戦後教育50年の結論 「 政策上の失策は、影響は大きいが、それに気付いて改めれば鏡面の曇りをぬぐうのと同じで痕跡は残らない。
しかし、教育の場合は、アヘンのように全身に毒がまわって表面にあらわれるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する 」 とは、かつての福沢諭吉の言葉ですが、まさに50年たった今、その症状が現われてきたと言えるのではないでしょうか。
いま直面しているさまざまな不祥事や、若者たちの暴走の淵源を深く考えたとき、その原因はいずれも、戦後50年の間に教育が無視してきた、 「 道徳観や倫理観 」 の希薄化に行き着くと言わざるをえないと思います。
最近、 「 平等主義が学校を殺した 」 という言葉を目にしましたが、私たちは確信をもって
「 人権・平等・平和 」 という戦後教育は完全に失敗であったと、勇気をもって結論を出す時期が来たように思います。
生涯青春塾
人は老いる、年とともに。これは、まぎれもない事実である。 何とも致し方ない。 人知でどうこうできるものでもない。 古くは秦の始皇帝が不老長寿の薬を求め、徐福を使わせた。それでも、そのような仙薬は手に入らずに詮無い結果に終わったとある。 不老長寿はあり得ない。しかし、長寿はあり得る。今の時代のリスクは地震、テロ、雷、火事、次が親父(オカン)となると思う。 そして、最大のリスクは長寿である。
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